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祖納の12か月

西表島は、県内でも沖縄本島に次いで2番目の広さを誇りますが、島の90%は亜熱帯のジャングルで覆われ、平地はほとんどありません。しかし、深い森が豊かな土壌を作り出し、多くの河川が豊富な水を提供してくれるため、意外なことに、古代より稲作が盛んでした。

西表島最古の集落「祖納」でも、村が誕生したとされる約500年前から、稲作が営まれ人々の生活を支えてきたと言われています。

そうした中で生まれたのが、太陽暦とはまた違う、稲作を中心とした農事サイクルによる地域独自の暦。太古より、主食である米の出来高は、そのまま命をつなぐことに直結していました。節目ごとに、自然の恵みに感謝し、五穀豊穣・人々の安全を願う稲作儀礼は、現在も祖納の人々の生活の中に色濃く残っています。

古代より受け継がれる、稲作を基軸とした暦に従って行われる伝統行事をご紹介します。

はじめに

祖納で行われる稲作の生産暦にあわせた年中行事は、御嶽(ウタキ)を中心にした神行事でもあります。あまり馴染みのない「御嶽(ウタキ)」という施設。各行事をご紹介するうえで外すことのできない重要な場所ですので、まずは御嶽(ウタキ)について簡単にご説明いたします。

【御嶽(ウタキ)】

祖納・前泊浜にある「前泊御嶽」

御嶽(ウタキ)には、村落の守護神である祖霊神が祀られており、祭祀などを行う大切な場所。祖納で行われる多くの行事・祭事はこの御嶽(ウタキ)を中心に行われています。遠い先人たちから守り受け継がれてきた聖地での祈りは、人々の生活や精神の中に今も生き続けているのです。

祖納には、「オハタケ御嶽」「クシモリ御嶽」「ケダシキ(ケダグスク)御嶽」「マエドマリ御嶽」「ニシドマリウブ御嶽」「パナリ御嶽」の6か所があります。御嶽(ウタキ)の神と住民との関係は、本土の氏神と氏子の関係に似ており、各家はそれぞれどこかの御嶽(ウタキ)に所属しています。

各御嶽にはツカサ(神司)がおり、1年に10回ほど御願(ウガン)に訪れます。また、補佐役として女性のウガンプサー、管理者としてチヂビと呼ばれる男性がいます。

御嶽(ウタキ)には、鳥居や祠(ほこら)がありますので、神社と勘違いしてしまいがち。しかし、御嶽(ウタキ)は神社ではありません。地域の方にとってはとても神聖な場所なので、絶対に入らないようにしましょう。

「前泊御嶽」の奥

月ごとの行事

祖納の主な伝統行事 意味 米作り
4月 世願い(ユニンガイ) 田植えの後、植えた苗がしっかり育ち、豊作になるよう願う 田植え後
5月 シコマムラングトゥ 稲刈りのために集落内を清掃する 稲刈り準備
6月 初穂刈り祝い(シコマヨイ) その年に初めて刈った稲を神に奉納し、無事に収穫できることを祝う 稲刈り開始
7月 豊年祭(プリヨイ) 今年の収穫を神に感謝し、来年の豊作と村の安全、村人の無病息災を祈願する 稲刈り終了
8月 旧盆(ソール) 先祖供養
9月
10月
11月 節祭(シチ) “農民の正月”今年の豊作に感謝し、新しい年の豊作と村人すべての無病息災を祈願する
12月
1月 生年祝(トゥシビー) その年の年男・年女を地域を挙げて祝う
2月 種取祝(タナドゥリヨイ) 稲の種をまいた後、苗に害虫がつかないように願う 種まき
十六日祭(ジュウルクニチ) 一族同門が墓前に集い、先祖をしのぶ
3月 腰の祝(クシヨイ) 田植えが無事終了したことを祝う 田植え

4月

世願い祭(ユニンガイ)

開催日:旧暦の2、3月(その年の新しい役員によって決定される)

田植えが終わり、植え付けた稲が根付いて伸び、株わかれをして本数が増え始めるころに行われるのが世願い祭(ユニンガイ)。 “世(ユ)”とは、稲の出来栄えという意味でも使われていました。つまり、植えた苗が病害虫に侵されることなく、しっかりと強い根を張って土を掴み、若葉がたくさんついて豊作になるように祈るのがこの祭りの趣旨。

祖納では、フサバニンガイ(稲草葉の願い)とも呼ばれています。

ユニンガイでは、山海の幸を取り揃えて「ブンヌス」と呼ばれる料理を作り神に捧げます。

ブンヌスは各御嶽の神前と、村のトゥリムトゥ(宗家、元家)に飾られ、人々はグシ(酒)と花米と線香を持ち寄り、それぞれの家が属する御嶽(ウタキ)に集まり、ユニンガイが行われます。

5月

シコマムラングドゥ(ムラングトゥ)

開催日:公民館役員によって決定される

ムラングトゥとは村事、村全体の共同の仕事のことで、6月の初穂刈り(シコマ)を迎えるための集落の大掃除。

稲作行事のハイライト「稲刈り」を滞りなく行うため、集落内の草を刈ったり、刈った稲をスムーズに船で運ぶために水路に杭を立てたりする作業を村人総出でやっていたのがこの行事の由来。

今でも、お年寄りから子供まで集落総出で丸一日かけて集落内の大掃除を行っています。

6月

初穂刈り祝(シコマヨイ)

開催日:稲穂が色づいてきたタイミングをみて公民館役員によって決定される

6月中旬、稲穂が黄色がかってくると、稲の初穂狩りを行います。

田んぼでは、朝早く鎌を入れて、最初に刈り取った稲穂を御嶽(ウタキ)に奉納します。ツカサ(神司)が稲穂からもみがらをはずし、御嶽(ウタキ)に供えながら、稲が穂を付けたことに感謝し、無事に収穫が行われることを祈願するのです。

その後、この稲穂を持ち帰り、三日後にアルン(玄米)にして、これを再び御嶽に供え「アルン出し」を行います。この伝統行事「シコマヨイ」を行った後に、本格的な稲刈り作業に入ります。

このあたりの地域には、“シコマヨイの日からうたえる歌”というのがあります。それが『仲良田節』。西表島の仲良川流域の広がる肥沃な穀田「仲良田」を舞台に、稲の豊穰にわく島人の喜びと感謝の気持ちをうたった古謡です。

実は、田植えからこのシコマヨイまでの期間は、「稲の発育のためうるさくしてはならない」「三線も弾いてはならない」「手をたたいてはならない」などの決まりごとがあります。

シコマヨイまで鳴り物や拍手を控えていた人々は、この日の夜公民館に集まり、三線や太鼓をにぎやかに鳴らし、無事に稲刈りを迎えられる喜びとともに大きな声でこの『仲良田節』を歌うのです。

ちなみに、この日から7月に行われる豊年祭までの、集落内各所に設置されたスピーカーから毎朝6時に大音量で『仲良田節』が流されます。

7月

豊年祭(プリヨイ)

開催日:旧暦の6月に公民館の役員会が開かれ決定される

稲刈りが終わると、今年の収穫を神に報告・感謝し、来年の豊作と村の安全、村人の無病息災などを祈願する「豊年祭(プリヨイ)」が行われます。昔は7日間にわたって行われていましたが、現在は4日間。

一般の人々が参加できるのは3日目の前夜祭と、4日目の大綱作り、そして、その綱を使って行う豊年祭のハイライト「大綱引き」のみ。集落民はもちろん、帰省学生や里帰りの家族も加わって、燃えに燃える壮大な祭りとなります。

第1日目 トゥリチキ

午後から各御嶽(ウタキ)ごとに独立して行われます。ツカサ(神司)は、豊年祭を行うことを神に告げ、この日から4日目の朝まで御嶽(ウタキ)での籠もりに入ります。この間、香を絶やさないようにします。

第2日目 御嶽(ウタキ)マーリ

各ウガンのツカサ(神司)がクシムリ御嶽に集まり、揃って祈願を行います。「オハタケ御嶽」→「マエドマリ御嶽」→「ニシドマリウブ御嶽」→「パナリ御嶽」と順番に巡り、その後各自の御嶽に戻って祈願を行います。

第3日目 プリヨイ(豊年祝い)

それぞれの家が所属する御嶽(ウタキ)の神前に集まり、公民館役員が各御嶽(ウタキ)に出向きます。神前にはミシャ(神酒)や餅を供え、ツカサ(神司)が、今年の豊作を神に感謝します。祈願の後は、三味線と太鼓の伴奏でにぎやかな歌や踊りが披露されます。

夜は、青年部主催の豊年祭前夜祭が開催され、大人から子供まで参加して、大いに盛り上がります。地域の人たちによるステージでのパフォーマンスやゲーム、飲み物&食べ物のお店は、小さい集落ならではの手作り感やあたたかみに溢れています。

第4日目 アサヨイと綱引き

公民館青年部では、朝早くから、祭りのハイライト「大綱引き」に使用する綱作りが行われます。

早朝6時、今年取れた稲の稲藁を祖納集落中央十字路に集積。

この藁は、6月に地区民総出で刈り出したもの。そこに、太い丸太二本を、道路を横断するように渡し、東西に向けてそれぞれ編んでいきます。

炎天下の中、丸一日かけて行われる大綱作りは、大変な労力と人手がいる作業。

集落民以外の方でも、ボランティア参加大歓迎です。

夕方になると、いよいよ豊年祈願の行事がスタート。

クシムリ、ウブ、パナリ、マエドマリの各御嶽(ウタキ)の氏子たちはトゥリムトゥ(元家)に集合し、稲わらを頭と腰に巻き、ツカサ(神司)を先頭に、十字路に向けて「ミリク節」を歌いながら出発。

祖納集落中央十字路では、人々が「ヨイサー、ヨイサー」という掛け声とともに迎え入れます。

その後、神座台上で青年部長から公民館長への大綱の奉納、

そして、五穀の神から農家に種子が授けられていきます。

フィナーレは約40mの大綱を東西に分かれて引き合う「大綱引き」。

まずは、神司と氏子による大綱引き。

続いて、住民も観光客も、全員が参加する大綱引きです。この勝負、東が勝つと「子孫繁栄」、西が勝つと「豊作満年」とされており、どちらが勝っても良いことがあります。

夜遅くまで続く、熱い熱い祖納の夏祭り。いつもは静かな集落も、この日ばかりは表情を変え、ひととき異世界に迷い込んだような異様な熱気に包まれます。

8月

旧盆(ソール)

開催日:旧暦7月13~15日

後生(グショウ・グソウ=あの世)からやってくる祖霊神がアンガマ(踊り手の一団)に化身して現世に現れ、子孫と交歓し親密さを深めて踊るという行事。

わかりやすく言うと、年に一度、お盆の日に亡くなった人々があの世から戻っていらっしゃる。それを歌や踊りで明るくお迎えし、たっぷり楽しんでいただいて、再びあの世にお帰りいただく、そんな行事です。

本島のお盆は、どこかしんみりした雰囲気が漂いますが、こちらのお盆はとにかくにぎやか。

夜になると、公民館から、青年部によるアンガマ行列がスタート。1日3軒ほど集落内のお宅をまわり、各家庭では、全員が仏壇の前に集合し、食べ物や飲み物を用意。家族・親戚総出でアンガマ行列をお迎えします。

アンガマ行列は、この世の者(踊り手)と、あの世の者(に扮するため、手ぬぐいやお面、サングラスで仮装した人々)に分けられます。

家の中に入れるのは、この世の者である踊り手のみ。あの世の者が入ってこられるのは、庭先まで。家の中では、仏壇に向かって歌をうたったり伝統芸能を披露したりします。

このときの歌は、古謡でも明るくテンポの良いものが選ばれることが多く、また、古くから伝わる型を少しコミカルにアレンジしたりもします。

祖霊に楽しんでいただくことが第一なので、みんな笑顔。いわゆる“お盆”のイメージとは遠くかけ離れていますが、この地域ならではの心温まる伝統行事です。

11月

節祭(シチ)

開催日:旧暦8月15日あとの己亥(つちのとい)から3日間

祖納の数多い年中行事の中で、最も盛大に執り行われてきたのが節祭(シチ)。国指定重要無形民俗文化財でもあります。

節祭(シチ)は、祖納でもっとも大切な作物であるマイ(稲)の収穫が終わり、翌年の準備が始まる前の旧暦8、9月に行われます。つまり、稲の生産サイクルにおいて「最後の締めくくり」であり「新たなスタート」という節目のタイミング。1月1日の正月とは別に、古来より“農民の正月”として大切にされてきました。

新しい1年も立派な豊作に恵まれ、村人すべてが無病息災でありますようにと神々のご加護を祈願する神行事であり、祖納では「ユークイ」とも呼ばれています。「ユークイ」を漢字で書くと「世乞い」。世(この地域では稲の出来栄えという意味)を乞う、つまり、新年にあたり、本当に豊かで幸せな暮らしを求める、人々の心からの願いが込められた言葉です。

節祭(シチ)は3日間にわたって行われ、元旦に相当する中日をショニチ(正日)と呼びユークイの行事を執り行います。その前日の大晦日は「トゥシヌユー(年の世)」、最終日は「止め(トゥズミ)」。

これらの日程は、十干十二支の組み合わせから決められていて、一度日取りを決めた後は、たとえ大雨でも、台風が来ても、日程や行事内容を省略・変更することなく予定通り行わなければならないとされています。

第1日目 トゥシヌユー(年の世)

大晦日にあたるこの日は、翌日の準備がメイン。

男性陣は、翌日のユークイが行われる前泊浜での会場準備(おもに力仕事)をし、婦人たちは行事で使用する料理の準備をします。この日の全員の昼食となるズーシー(炊き込みご飯)作りも、婦人たちの重要な仕事。

各家庭では、家の清めの儀式をし、フルマイというご馳走を食べるのがならわし。

夜は公民館に集合し、ウブシクミ(総予行演習)が行われます。踊り、棒、狂言などの芸を通して行い、順番や役割を総点検。地元の人以外の見学も可能ですので、ぜひご覧になってみてください。

第2日目 ショニチ(正日)

祭りの中心となる日。

朝5時に鳴る銅鑼鐘の音で1日がスタート。それぞれの衣装に身を包んだ船子やアンガー、銭引などの芸人が公民館に集合し、ここから「船元の御座」(会場である前泊浜)へと道行列が行われます。

華やかで荘厳な旗頭を抱える船子の男たちを先頭に、ミリク(弥勒)とそのお供とされる女性たちが銭引を打ち鳴らしながら続きます。かわいくてユーモアたっぷりのミリク神は、この祭りの顔ともいえます。

その後ろは、真っ黒な衣装をすっぽりかぶった神秘的なフダチミと、黒と白の装束に身を包んだ婦人たちによるアンガー行列。

それぞれが伝統的な歌をうたい踊りながら、ゆっくりと歩を進めます。

「船元の御座」では、婦人たちによる古式豊かなアンガー踊り(節アンガー)が踊られ、男子たちはキョンギンと呼ばれる方言の狂言や、棒芸を披露します。

祭りは、“海の彼方よりミリク(弥勒)様がやってきて、それによってもたらされる「世果報(ユガフ=豊年満作の世)」を迎え入れましょう”という趣旨で執り行われており、男子たちによるフニクイ(船漕ぎ)の儀式がこの祭りのハイライト。

昔から漁に使われてきた伝統的な手漕ぎ船・サバニで沖へと漕ぎ出し、西表一の景勝地「まるま盆山」をまわって帰ってきます。サバニは2艘用意され、それぞれに、船頭をはじめ、仮船頭、前乗りなど各12人ずつの男子が乗り込みます。1周目は「世乞いの儀式」、2周目・3周目は早さを競う「船漕ぎ競争」となっています。

勝敗を競いはするものの、その目的は、心を一つにして海の彼方から世果報(ユガフ=豊年満作の世)」を満載して戻ってくること。浜では、女性たちがすべての船子たちが無事に帰ってくるようにとガーリ(嘉利)を踊り、手招きしながら声援を送ります。勇壮な男たちの船漕ぎと、浜で待つ女性たちの姿、この組み合わせがとても美しいのです。

最後に獅子舞による浜の清めが終わると、ミリク神や芸人たちは「船元の御座」を後にします。

節祭(シチ)は、日本、さらには世界中から多くの方にお越しいただいている行事です。どうぞご遠慮なく会場に足を運んでみてください。当日会場でご祝儀をいただいた方には、折り(お弁当)と飲み物を差し上げており、会場に用意されたテント内の席でゆっくりと行事を観覧していただけます。

第3日目 止め(トゥズミ)

最終日のトゥズミは、祖納にあり、西表で最初に掘られたと言われている井戸「大平井戸(ウーヒラカー)」を舞台に行われます。

まず、古くから人々の生活を支える大切な水源だった井戸にて水への感謝の儀式を行う「水恩感謝祭」が挙行されます。

といっても、それほど堅苦しいものではなく、お供え物(ご馳走)やお酒を井戸に供え、線香を立てて合唱したら、あとは宴の始まり。大皿に盛った料理は全員に配られ、祝酒を酌み交わします。

その後、芸人たちは前日のユークイで披露した狂言や棒踊り、獅子舞の演技などを再び繰り広げます。最後は、男女が入り交ざって井戸の周りを歌いながら回り、ガーリ(嘉利)を踊ったら儀式終了。

大平井戸の儀式が終わると、今度は集落内の清めの儀式へ。旗頭を持って、病院や郵便局、学校、宿、お店などをまわり集落内を清めます。その年に新築した家では旗頭を庭に立て全員でガーリ(嘉利)を踊ります。

古くからの形式に則り厳粛に行われる前日のユークイとは対照的に、この日の儀式はとても砕けていて、楽しく盛り上がれる雰囲気。節祭(シチ)の違った一面をご覧いただけることでしょう。

1月

生年祝い(トゥシビー)

開催日:1月2日

沖縄では、その年の十二支が自分の干支と同じになる年を「生まれ年」といい、無病息災を願ってお祝いする風習があります。

祖納の生年祝いは、公民館にて合同で行われ、みんな和服やスーツなど正装で参加。地域を挙げて年男・年女を盛大にお祝いします。

現在ではおめでたい行事になっていますが、もともとは、生まれ年は厄年とされていたことから、災難を無事に切り抜けられるよう祈願する意味合いが強かったと言われています。

2月

種取祝(タナドゥリヨイ)

開催日:稲の種をまき終えたころを見計らって、甲か乙の日を選んで公民館役員によって決定される

稲の種をまいた後、苗に害虫がつかないよう、そしてしっかりと成長してくれるように願う行事。

各家庭ではカシキ(赤飯)を炊いてイバチ(うるち米のおにぎり)を作り、仏壇にススキと一緒に飾ります。これは苗代に蒔いた種がススキのように力強く成長するようにという願いが込められています。

十六日祭(ジュウルクニチ)

開催日:旧暦1月16日

「後生(グショウ・グソウ=あの世)の正月」とも呼ばれる十六日祭(ジュウルクニチ)。先祖供養の行事として、旧盆と並ぶ伝統行事のひとつです。

この日は、仕事や学業で島を離れて暮らす人たちも島に帰ってきます。そして、親族・血縁が先祖の墓の前に集まって、ゴザを広げて花を生け、重箱料理、お菓子、果物や酒などを供えて線香を焚き、持ち寄った料理を食べながら一騒ぎして過ごします。

祖先供養のための儀式ではありますが、先祖の前で賑やかに過ごし、親族の無事を願ったり、親族同士の近況報告も兼ねたり、普段あまりできない家族・親族とのコミュニケーションの場でもあります。

お盆らしくない旧盆の「アンガマ」もそうですが、このにぎやかで楽しいお墓参り「ジュウルクニチ」も、この地域のすばらしい習慣なのです。

3月

腰の祝(クシヨイ)

開催日:田植えの状況を見て公民館役員により決定される

田植えが無事終了したことを祝い、またその労をねぎらうのがクシヨイ(腰の祝、腰休め祝い)。

公民館に集まり、田植えの後に苗の生長と豊作を祈って歌う『田植びジラー』という歌を掛け合いながら歌い、大変な田植えが終了した喜びを分かち合います。


豊年祭、節祭(シチ)の時期は、毎年多くの方々がこれらの祭り目当てで祖納にいらっしゃいます。時の流れとともに少しずつ開かれた行事になりつつあるこれら2つの祭り以外は、観光にいらした方が一緒に参加して楽しむといった類のものではありません。

しかし、祖納のことを多くの方に知っていただき、歴史ある行事の意味が薄れていくことのないよう、大切に守っていくことに意味はあると思います。

偶然にでもこれらの行事いずれかに遭遇したら「あぁ、なるほど、今はこれをやっているんだなぁ」と、その雰囲気だけでも感じ取っていただければ幸いです。